故郷の思い出 -1
60年前の故郷の思い出を長崎弁訛りの宮崎弁で話します。
育った場所:
宮崎県日南市日南海岸の北部、宮崎市に近い村、
半農半業の海に近い小さな村でした。
家業の説明:
山で、寝泊まりして家族で防腐剤の樟脳を製造していました
※樟脳とは;
英語では「camphor(カンフル)」
クスノキの幹や枝を蒸留・結晶化して得られる白い固体。
強い独特の香りがあり、スーッとした清涼感のあるにおいです。
宮崎弁バージョン:思い出の語り
あん時の遊びはなあ:
ノコギリで木ばギコギコ切ったり、
小川でエビばすくうて遊びよったっちゃが。
夜寝ちょるときはな、
サルやムササビが木ん上ば飛び回ってな、
ギャーギャー言うちょって、夜ん山もにぎやかやったとよ。
小学校ん頃の話やっちゃけど:
近所のUさんと一緒にな、
人ん家のビワの木に登ってビワばもぎとって食べよったっちゃが。
そしたら、村の若もんたちに見つかって、
「こらー!」っち追っかけられてしもうたとよ。
つかまって、泣きながら「ごめんなさい」っち謝ったとよ。
姉ちゃんにも、
「そんげミットもないことすんな!」っちカツーンて叱られたっちゃが。
一番好きやった季節はな、
やっぱり夏休み前の7月!初夏の風が気持ちよかったとよ。
学校帰りに歩いちょると、
海がキラキラ光っててな、
その中にイルカが泳ぎよるんが見えたっちゃが。
夏はな、近所のWtさん兄弟と一緒に、
うちのすぐそばの海にサザエ取りに行きよったっちゃが。
家ん前の砂浜にはな、
ウミガメがよう産卵に来ちょったとよ。
あれはほんとに、夢んごたる光景やったっちゃね。
冬になるとな、
弁当ばもって、ツワブキやヤマモモば採りに山行きよったとよ。
あのWtさんに、また一回会いたいねぇ…。
ツワブキはな、甘辛う煮付けて食べるとよ。
それば業者さんに買うてもろうて、小遣いにもなったっちゃが。
ヤマモモは、きれいに洗うて塩ばふって、パクッと食べるとよ。
わらし(子ども)たちの最高のおやつやったっちゃが。
※そういえばな、
中国の広州に行ったとき、ヤマモモの缶詰ば見つけたっちゃが!
「福建省産」って書いてあったとよ。
「おぉ、遠か昔、こげなもんが海流に乗って、宮崎ん方まで流れ着いたんやろかねぇ」っち思うたっちゃが。
どうせなら、レイシ(ライチ)や龍眼(リュウガン)も、
流れてきてくれたらよかったっちゃね〜。
遊びは;のこぎりで木材を切ったり、小川でエビを撮ったりしていました。
夜寝ていると、
サルやムササビの飛び回る声が聞こえて、夜は大変にぎやかでした。
小学校時代;
近所のUさんと、人の家の琵琶の期の琵琶を盗んで食べて、村の若い衆に追い掛け回され、つかまってしまい、
泣いて謝ったのを覚えています。姉にもミットないことをするなと叱られました。
好きな季節;
夏休み前の7月。初夏でした。
学校の帰りありていると、キラキラした海でイルカが泳いでいるのが見えました。
近所のWtさん兄弟と夏は、はよく家の近くの海にサザエ取りに行きました。
また家の前の砂浜には、ウミガメがよく産卵してました。
冬は、弁当持参でツワブキ採り、ヤマモモ取りにに行きました。
Wtさんにもう一度会いたいです。
ツワブキ;甘辛い煮物にして食べます。また、業者に買い取ってもらい、お小遣いにすこともできます。
ヤマモモ:洗って、塩を振って食べます。僕ら子供のおやつになります。
※中国広東省広州でヤマモモ缶詰を発見しました。福建省産と書いてありました。
遠い昔、福建省から流れてきたのかと思いました。
どうせなら。レイシや龍雅も流れてきてほしいですね。